てんてけのちょっと役立つブログ

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愛すべき鳥ドードーの悲劇〜私たちにもできる取り組み

1.ドードーへのインタビュー

 

どうも。インタビューとかいうものだそうですね。私ですか、いや、名前なんかありませんが…えっ、私はドードーという名前の鳥なんですか。では…そうなんでしょうね。私もこれから自分たちのことをドードーと呼ぶ事にしますよ。

ここはモーリシャスという島らしいです。私たちの群れの、物知りの長老が言っていました。大昔は飛べたらしいです。信じられませんね…空にいるあの鳥みたいに…そういえばあなた、私のことを鳥って言いましたよね。我々が鳥だったなんてなぁ…

とにかく、あの痩せてて飛んでる鳥みたいに飛べたんだそうですけどね。我々もそうだったのかぁ…えっ…この、胴体についてるやつ? これで飛ぶんですか。へえ…全然考えたこともないですが、飛んでいる鳥を見ていると、なんだか疲れそうなんで、やめておきますよ。

我々の食事ですか。ああ、不自由はしていませんよ。そこらに果物があるし、木の実も落ちています。そら、このクチバシで割るんです。おひとついかが? …あ、いらないんですか。残念です…

飛べなくなった理由…多分、長老も知らないと思います。別に、あんなにバサバサして忙しそうにして暮らすとか、我々にはわからない感覚です。ずうっとこの島で、もう何万年だかわからないくらいの時を、我々は生きているらしいですからね。歩けば、美味そうな木の実や果物がすぐに見つかる。飛んでも意味ないじゃないですか。あ、そういえばこの木の芽、すごく美味いんですよ。え、あなた食べたくないんですか。おかしな人だなぁ…

飛ぶ鳥は、我々がのんびりしていていいなぁって言いますけど、のんびりって何ですか。我々の暮らしぶり? そうですか、はあ、ドードーの天国…よくわかりませんが、そうなんでしょうね。

じゃあそろそろいいですか。カミさんが待ってるんですよ、タマゴを温める順番が来るんで。

タマゴの数? 変なことを聞くなぁ。ひとつに決まってるじゃないですか。えっ…冗談じゃない、そんなにたくさん産めませんよ。子供がたくさんいたほうがいいんですかね…ひとりを大事に育てるのが普通じゃないかと思うんですけども、違います?

では、これで失礼しますよ。



2.突然の敵

 

このように、ドードーたちは数万年以上、天敵もおらずゆったりと暮らしてきました。その環境に馴染んだからこそのドードーの巨体、そして飛ぶ能力がなくなり、繁殖力も低くなりました。モーリシャス島という孤島に住み続けた結果です。これを島嶼化現象といいます。

 

しかし、その天国は突然破壊されます。1598年、オランダ人たちがモーリシャス島に上陸しました。

ドードーたちは、新しい感情…恐怖を感じる暇もなかったでしょう。人間たちは、飛べなくて大きなドードーを、大喜びで狩りました。

 

航海中には新鮮な肉が手に入りにくいですが、ドードーは大きい鳥ですから、食べごたえのある貴重なタンパク源にされました。ふわふわな羽毛も、羽枕や羽根布団に重宝したようです。また脂も沢山取れました。灯りのための油として、また新鮮な調理油として…ドードーは利用しつくされました。

 

また、狩猟というゲームの対象としても格好の獲物でした。飛べなくて不格好なドードーを、人間たちは面白がってどんどん殺しました。

 

せめて、ひなや卵だけでも…

そんなドードーたちの思いも絶たれました。人間たちが持ち込んだ動物、つまりモーリシャス島にはそれまでいなかったブタやサルやラット、ネコのようなものですが(外来種といいます)それらはドードーの卵やひなを狙いました。

 

推測では、人間たちが初めてモーリシャス島に上陸した当時には、数千羽のドードーがいたとされますが、人間や外来種、そしてサトウキビ畑などにするために行われた森林の伐採による生息地の破壊は、そのドードーをあっという間に絶滅させました。

 

大型の鳥であるドードーの寿命は長く、一説では30〜50年は生きたのではないかと言われますが、最後の目撃例は1662年です。

18世紀末までには完全に絶滅したと考えられていますが、数万年、敵もおらずのんびり幸せに暮らしていただろうドードーたちは、恐怖に脅かされるようになり、わけもわからず狩られ、子供たちも殺されて、住まいもなくなり、100年もしないうちに死に絶えてしまったのです。

人間の自分勝手な欲望と、無責任な外来種の持ち込み。それがドードーの絶滅という悲劇を生みました。

 

当時は希少種の保護という概念はありませんでした。ほんの少しでも、この珍しい鳥たちに対する哀れみがあったなら、ドードーたちはわずかながらでも生き延びられたかもしれません。



3.ドードーを惜しむ

 

愛すべき悲劇の鳥、ドードー

それが絶滅してしまったことを知ったアーティストたちは、ドードーを惜しみ、その姿を描き残しました。

 

ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」に描かれたドードーは有名です。原書の挿絵を描いたジョン・テニエルは、実際の剥製を見てドードーを描いたと言われています。

このドードーは、アリスとともにヘンテコな堂々巡り「コーカス・レース」に参加します。そこでドードーは 「全員が勝者で、みんなに賞品をあげなくては」と提案します。ドードーの温厚で平和的な性格は、何万年ものんびり暮らしてきたドードーたちの面影がよく出ています。

 

絵画の世界でも、ドードーは多くの芸術家に描かれてきました。その中でも特に有名なのが、ルーラント・サーフェリーの「ドードー」です。現在ロンドンの自然史博物館に所蔵されているこの絵は、「アリス」の挿絵同様に実際の剥製をモデルにしたと言われています。サーフェリーは、ドードーの特徴をリアルに捉えており、この絵は絶滅したドードーへの関心を呼び起こす上で、重要な役割を果たしました。

 

昔に描かれたこれらの絵は、剥製をモデルにしたということですが、実は現代には、本物の剥製はありません。唯一の剥製が1683年にオックスフォードのアシュモレアン博物館に収蔵されましたが、管理状態の悪さから1755年に焼却処分されてしまいました。今、ドードーの標本は全身骨格を残すのみです。もはやイラストや絵画から、ドードーの面影を探すことしか出来ないのです。

 

現代、ドードーは絶滅動物の象徴として、環境保護のキャンペーンなどにも登場します。愛らしいドードーのイラストは、悲劇を思い起こさせ、自然保護の大切さを訴えかけます。

 

今、ドードーは故郷のモーリシャス島ではなく、芸術の世界から、現代社会にメッセージを送り続けています。ドードーは、生物多様性の大切さを伝えるシンボルとして、これからも芸術の中で生き続けていくのでしょう。



4.ドードーの悲劇を繰り返さないために

 

ドードーの悲劇は、私たち人間に大きな教訓を残しました。自然との共生の大切さ、そして生物多様性を守ることの重要性です。

現在、地球上には数多くの絶滅危惧種が存在しています。ドードーと同じように、人間のエゴや環境破壊の脅威にさらされているのです。ドードーの悲劇を繰り返さないためにも、これらの生物を保護する取り組みを進めていかなければなりません。

絶滅危惧種を守るための国際的な取り組みとして、「レッドリスト」と「ワシントン条約」が挙げられます。

 

レッドリスト」は、国際自然保護連合(IUCN)が作成する、絶滅の危機に瀕している生物のリストです。各国の研究者が協力して、生物の個体数や生息環境の状況を評価し、絶滅のリスクの度合いを判定しています。このリストは、保護の優先度を決める上で重要な役割を果たしています。

 

ワシントン条約」は、正式名称を「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」といいます。絶滅危惧種の国際取引を規制することで、乱獲や密猟から生物を守ることを目的としています。現在、180以上の国と地域が加盟しており、国際的な協力体制が築かれています。

 

これらの国際的な取り組みに加え、各国政府や地方自治体、NGOなどが連携して、絶滅危惧種の保護活動を行っています。保護区の設定、生息環境の復元、繁殖プログラムの実施など、様々な保全活動が行われています。

 

ドードーの悲劇は、私たちに自然の大切さを教えてくれました。絶滅は、その生物だけの問題ではありません。生態系のバランスを崩し、結果として私たち人間の生活にも影響を及ぼすのです。

ドードーのように、もう二度と戻らない生物を増やさないためにも、絶滅危惧種の保護に力を尽くすべきです。一人一人の意識と行動が、地球上の生物多様性を守る鍵となるのです。



  1. まとめ

 

今回、ドードーを主人公に、絶滅危惧種生物多様性の問題を取り上げました。しかし、ドードーのように失われてしまった生物は、私たち日本人の身近にもいます。

トキという鳥に代表される動物たちです。

 

日本最後のメスのトキ「キン」は、保護のため佐渡トキ保護センターで飼育されていましたが、1971年10月10日に死亡、推定年齢は36歳でした。

トキの野生絶滅は、高度経済成長期の環境破壊や農薬の使用が原因と考えられており、自然保護の重要性を広く認識させるきっかけとなりました。やはりこれも、人間の傲慢さが呼んだ悲劇には違いありません。

 

一人一人がこの問題を直視していきましょう。ドードーだけではなく、他の絶滅種や絶滅危惧種について学び、生物多様性の大切さを知ってください。また環境破壊に繋がる過剰包装や食品ロスをやめることなども、小さな一歩ですが野生動物たちの生息環境を守るために非常に大切なことです。

 

もう、ドードーの悲劇は繰り返してはならないのです。